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【コラム】受験歳時記 12月号「サイレント」

コラム

書き損じ

手紙を書き損じて、丸めてぽーんと隅の屑籠に放り投げる。コントロール悪く紙屑が跳ね返る。様子をずっとうかがっていた遊び盛りの子猫が、前足を右に左にちょんちょん突き出しては、紙屑を転がして遊んでいる。

ドラマ

イントロは要らない、サビだけでいい。山場と結果を急ぐそんな倍速時代にあって、スキップできない、倍速を許さないテレビドラマがある。見逃し配信の再生回数で記録を更新中らしい。

 

毎回、静かに始まり、静かに終わる。画面は動くが、音がない。言葉はあるが、ノイズがない。心の中のさざなみを指の動きだけで表現し、セリフの声は省いてしまう。いたく小説的で、かつ優れて映画的な作りなので、視聴者は、舞台となるファミレスの隣の席に座っているような心持ちで、目を凝らし、耳を澄まし、次の週の次の展開を待つ。

 

俳優陣の好演、丁寧な脚本、行き届いた演出が冴えに冴え、ドラマとはこうして手厚い上にも手厚く、気を張り詰めて仕上げていく丹精な織物なのだと気付かせてくれる作品だ。

60分

今春、慶應女子高の入試で「道草によってこそ『道』の味がわかる」*という表現についての自分なりの解釈を経験を踏まえて書くという60分600字の作文問題が出された。この制限時間60分をどう捉えるかで、答案の進み方もかなり違ってくると思われる。

 

ある人気作詞家がインタビューで、大量のオファーを受け、短時間に何本も仕上げねばならないときは、60分の砂時計を利用すると答えていた。砂時計を見ながら仕事に取りかかると「60分しかない」ではなく「60分もある」と思えてくるそうだ。実際に、砂時計は試験会場に持ち込めないであろうし、単に気持ちの問題だけにすぎないようだが、本番では、その気持ちの問題が大きな要素にもなりうるから、イメージ上の練習だけでも、効果的かもしれない。

 

小さな瓢箪形のガラスの器の中、さざなみを立てながらゆっくりと崩壊していく静かな光景。粒子は動くが、音はない。移動する時間が織りなすサイレントな世界。最後の一粒まで手厚く均等に、一粒分の時間を有していることが「たっぷり感」を与えるのかもしれない。

新しい視点

断捨離の最中、ふと掘り出された古い日記に目が止まり、読み耽ってしまう。乗り過ごしてしまった駅でふと見かけた素敵なショップに立ち寄り、ゆったりと時間を過ごす。きれいな月に誘われて、ちょっと遠回りしてみた店にカードを置き忘れたら、「お客さあ〜ん、お忘れ物ですよ〜」とかなり離れた横断歩道まで追いかけて来た店員さん。拝みたくなるような月夜の晩に、拝みたくなるような親切を受ける。

 

思えば、道草することは、時間のロスではなく、予定になかった経験値がガラスの中に音もなく降り積もっていくこと、新しい視点、新しいレンズの枚数が増えていくことにほかならない。

手鞠唄

手紙が紙屑になって転がるまでを、倍速もスキップもしないで一部始終を見ていた子猫が、トントントンと階段を下りていく。そのリズミカルな足音が「てんてんてん鞠てん手鞠〜♪」と聞こえてくる。

 

「てんてん手鞠の手がそれて〜♪」と続ければジャスト10秒経過するという。それにつられて手鞠のように跳ねたウサギが、虎に追われて来年のカレンダーに10秒ずつ近づいていく。

 

 

  • 河合隼雄『こころの処方箋』(新潮社)に収録されたエッセイのタイトル

「受験歳時記」は、受験生とそのご家族に送る、一年の折々に寄せたSAPIX中学部オリジナルコラムです。

 

【著者】増田恵幸
SAPIX中学部にて高校受験指導、受験情報誌『SQUARE(スクエア)』編集に携わる。2019年定年退職。在籍時より『受験歳時記』を執筆し、『SQUARE』およびSAPIX中学部ホームページにて連載中。