筑駒高進学【保護者】2024受験体験記(N・Iさん)
ブサイクな卵焼き
筑駒高 進学
併願合格校:市川高、慶應志木高、栄東高、渋谷幕張高、広尾学園高
N・Iさん
●お子さまのお名前 M・Iさん
一月の千葉埼玉戦は、朝四時台に出発するので、私は二時には起床、弁当と朝食作りの日々だった。疲労困憊で、日を追っても疲れが抜けなかった。本人も一月の受験後は学校を休んで勉強すると言っていた。ところが、二月に入っても学校は休まず、ただ先輩の体験記にあった、誰もいない教室で朝勉強することだけを実行していた。
もともと、筑駒、開成はチャレンジと思っていたのが、昨年六月には私の病気の手術入院があったにも関わらず、意外にもどちらの特訓も席をもらってきた。私が学校を見て回れたのは最後のチャンスの十月の説明会だった。筑駒、開成、日比谷、慶應志木、どこも魅力的だったが、理科が大好きな息子には開成がぴったりだと感じ、ご縁があることを願った。ただ、本人を連れていけなかったので、学校の良さを伝えきれず、残念だった。
正直、本人はどこが第一志望なのか、絞り切れない様子だった。学校からは二学期末に内申書が出ると、都立は蹴ってはいけない。SAPIXからは筑駒などの難度の高い学校を一番にすえてやってほしいと言われてきていたので、あとは、実力とのにらめっこだったようだ。
開成が第一という思いは本人も強くなり、二月受験の最初は志木、上機嫌で帰宅したのに、二日後の開成の前夜に、開成に合格しても行かない。日比谷で頑張る。と言い出した。それが、緊張からの弱音だと気づいてやれなかった、だめな母。じゃあ、受けるのをやめたら?と切れてしまった。翌朝、作った弁当の卵焼きは本当に不細工だった。自分の心が映っていると思った。その日玄関の戸が閉まるまで、私の目を見つめていた息子の姿が忘れられなかった。
結果、開成は黒星、本人よりも私が喪失感を覚え、受験前夜の自分の態度を後悔し、呆然と三日間を過ごした。本人は開成の結果は気にせず、筑駒受験後に帰宅して室長と電話しているとき、手応えありました。と聞こえたが、そんなわけあるか。と内心思っていた。二日後の筑駒発表直前、私は「もう自分の子の番号のない掲示板は見たくありません」と大声で叫んでいた。URLを入力したらすぐに表示されてしまった掲示板を見て、あれ?ある。あれ?と何度も受験票と掲示板を見直した。室長には、開成の結果を伝えた時、開成がだめでも筑駒は受かるパターンもありますから。と言われた。現実のものとなった。
中学受験で泣いてから、ここまでの道のりは長く、厳しかった。中三に上がったとき、勉強が辛いと初めて言った。二学期には、志望校を下げたい辛い、と涙をこぼしていた。都度、SAPIXに電話し、室長から本人にフォローしていただいた。
受験を通して、思春期の息子との距離感に悩んだが、私の役割はただ傍にいて、ごはんを作ることだと学んだ。心や勉強は、SAPIXの先生にお任せしたほうが、親子ともHappyなのだと。二年生からの途中入塾の息子を、筑駒生に導くSAPIX恐るべし。
先生方、本当に感謝しております。